$\pH$ 計算の実際(両性電解質)
緩衝液は弱酸とその共役塩基の混合(または弱塩基とその共役酸の混合)溶液でしたが,両性電解質は一つの物質で酸と塩基の両方の役割を担います。代表例は炭酸水素ナトリウム(重曹)$\ce{NaHCO3}$ で,重曹は水溶液中でナトリウムイオンと炭酸水素イオン $\ce{HCO3-}$ に完全に電離しますが,$\ce{HCO3-}$ は酸として二段階目のプロトン解離を行うこともでき,また塩基としてプロトンを受け取って炭酸 $\ce{H2CO3}$ となることもできます。
$\Ka{1}$ と $\Ka{2}$ はそれぞれ炭酸の第一酸解離定数と第二酸解離定数です。次に質量均衡(物質収支)と電荷均衡を考えます。
式\eqref{protb}は式\eqref{chargeb}から式\eqref{massb}を引いたものです。式\eqref{protb}に式\eqref{ka2}と\eqref{ka1inv}を組み込んで次式を得ます。
一方,式\eqref{massb}に式\eqref{ka2}と\eqref{ka1inv}を組み込むと次式を得ます。
式\eqref{hco3}と\eqref{cshco3}を組み合わせることで以下の $\ce{[H+]}$ に関する 4 次方程式が得られます。
よってこの 4 次方程式を解けばよいのですが,例によって 4 次方程式を解くのは簡単ではありませんので,近似を考えます。
$\Csalt \approx \ce{[HCO3-]}$ の場合
仕込みの塩濃度 $\Csalt$ が極端に小さくなければ,式\eqref{ka2}と\eqref{ka1inv}による $\ce{[HCO3-]}$ の増減は無視できて式\eqref{hco3}の左辺を $\Csalt$ と近似できるので,これを整理すると次式を得ます。
$\Csalt \approx \ce{[HCO3-]}$ に加え $\Csalt \gg \Ka{1}$ かつ $\Csalt \gg \frac{\Kw}{\Ka{2}}$ の場合
式\eqref{finhsqcs}の $\Csalt$ は分子分母で約分することができて,$\pH$ は次のように求まります。
この式から分かるように,重曹水溶液の $\pH$ は仕込みの塩濃度が十分に大きければ,濃度に関係なく一定値の $\pH\,8.35$ になります。「十分に大きければ」がどの程度まで有効であるのかを確認するために,濃度を変えて方程式\eqref{eqdim4},式\eqref{finhsqcs},式\eqref{phsim}に基づく $\pH$ を比較します。
$\Csalt/\molL$ | 方程式\eqref{eqdim4} | 式\eqref{finhsqcs} | 式\eqref{phsim} |
---|---|---|---|
$1.0\times 10^{-1}$ | $8.34$ | $8.34$ | $8.35$ |
$5.0\times 10^{-2}$ | $8.34$ | $8.34$ | $8.35$ |
$1.0\times 10^{-2}$ | $8.34$ | $8.34$ | $8.35$ |
$5.0\times 10^{-3}$ | $8.33$ | $8.33$ | $8.35$ |
$1.0\times 10^{-3}$ | $8.30$ | $8.30$ | $8.35$ |
$5.0\times 10^{-4}$ | $8.27$ | $8.27$ | $8.35$ |
$1.0\times 10^{-4}$ | $8.10$ | $8.10$ | $8.35$ |
$5.0\times 10^{-5}$ | $7.98$ | $7.99$ | $8.35$ |
$1.0\times 10^{-5}$ | $7.67$ | $7.68$ | $8.35$ |
この結果を見ると 4 次方程式を解く必要性はほとんどなくて,重曹の場合 $\Csalt=5\unit{mM}$ 以上の濃度であれば式\eqref{phsim}に基づく $\pH\,8.35$ の一定値,$\Csalt$ がそれよりも希薄であるときは式\eqref{finhsqcs}を用いればよいことが分かります。この結果は既に述べた脚注[1]の結果とも符合します。重曹を溶かした水(重曹水)は家庭の掃除用にも使われますが,おおよそ水 $100\unit{mL}$ に対して重曹を $5\unit{g}$ くらい溶かすというレシピが web 上で紹介されていて,$\pH$ 計算という意味では十分に濃い溶液で,その $\pH$ はおよそ $8.3$ となります(たくさん溶かした方が塩基性が強くなって汚れが落ちやすくなると考えるのは間違いです)。